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ログインできなくなったからその2
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さて、覗きの話ですが、なぜ私がこのことに気を止めるかというと、以前読んだ本でそういった覗きをテーマにしたものがあったからです。官能小説とかではなくて、普通に文学的な比喩に比喩を重ねたようなやつ。で、私が持ってる大江健三郎の本に収録されてたと思ったら、違いました。図書館で借りてきた本だったのですかね。(江戸川乱歩か谷崎潤一郎か田村泰次郎かなあ・・・?)なので話は確認しようもなくうろ覚えで、確実ではありません。それを承知でお願いします。

では内容。
主人公の友人に、崖を隔てたアパートを熱心にいつも眺めている男がいました。主人公は何を見たいのかたずねると、彼はアパートの窓越しから性行為をしている姿を見たいといいます。で、なんだかんだあって(もう忘れました・・・)主人公がたまたまその崖を通りかかったとき、偶然にも窓から病人が数人に看取られながら亡くなる瞬間が見られました。そして、その数件隣の窓の家では、男女が性行為をしていました。その瞬間、主人公は、脱力し座り込んでしまいました。

こんな感じだったと思います。なんてテキトーな紹介文なんでしょうか。本当、ファンが見たらザードの死後の大黒摩希のブログのように、炎上してしまいますな。

死と性行為を隣り合わせにすることで、今日夜の営みを繰り返す彼らの窓にも、いつかは隣の窓のような死の光景が映されるであろう、そして今日死の映像が映し出されていた窓にもかつては性行為の映像が映し出されていただろう、そんな死と生(性)の連続性みたいなのを感じます。そして、それにも拘らず、彼らは彼らの生に執着し、全うしていると言うこと。

では、これを見ている主人公の位置づけとは何なのでしょうか。窓とは、一種のテレビ画面のリアル版のような役割をしていて、二つのテレビを同時に見ていることとイコールでつながるのではないでしょうか。まるで、「エンタの神様」とフィクションの「癌闘病記」を2画面同時視聴しているように。

しかし、テレビの世界とは現実との遊離体であり、視聴者はそこにリアルを感じることは出来ません。フィクションの深刻なテーマのものでも、それがある程度エンターテイメント化した性質を持つのは否めないでしょう。そして、その中で視聴者は受動的・没個性的となって行く・・・。


しかし、アパートの窓というのは、視聴者が疎外される第三者性というテレビとの共通項を保ちつつも、それが現実に起こっている以上、人々の生をそれでも強く実感させるというような機能を持っているのでは。

受動的な視聴者としての気楽さに安堵を覚えつつも、生への実感は感じることは出来ない。生への実感を得たい。。
そんな、ふわふわの状態の人間像を「覗き」で表しているように思いました。
私の現代的解釈ですが。こじつけの好きな私は、まあ、考え次第でどうにでもすることのできる純文学と言うものが、非常に好きでござる。


後日談・・・・・・・こんな思いで、覗きの意味を人に喋ったら、「文学では色々言えるけれど、本当に覗きしてたら    ただの変態だよ。」と言われました。あの、いつもの人に。 
その通りでございます。私はこの世に、覗き(盗撮など)といった犯罪が消えるのを切に願っております。
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