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そういえばテスト中現実逃避していたときに、欧米映画にでてくる美少年を一覧でずらーっと紹介しているサイトを見つけました。
皆天使のようで本当に可愛いと言うか。。いや、いまやそこら辺のいろんなジャンルの人に対しても使われている「可愛い」なんて言葉を使用したら、言葉の力が薄まってしまう気がするので・・・言い換えると・・・まあ・・・、すごかったです。うおーーーーーーーーって感じ?
美少年は、私が永遠に求める哲学であります。決してショタの正当化ではありません。
そんな私の哲学を、今少し書き記してみたいと思います。
まず第一に、「なぜ美少年でなくてはいけないのか」
それが美少年であって「美少女」じゃいけないのは、少女だとそれが将来的に男性を性的に魅惑するのに役にたち、なんともいえないが一種の嫌らしさを感じるため、あまり私の中で崇高さを感じない。美は聖母マリアとマグダラのマリアの二面性を備えるのである。
加えて、女子は女子の習性や思考回路をある程度理解することが出来るため、自己の厭らしさを彼女に投射してしまうのである。だからこそ、私は美少年に惹かれるのだ。それは知らない世界にユートピアを求める態度と同じであると言えるであろう。
第二に「美少年を求めてはならない」ということ
美少年は現実にいるものではなく、ユートピア的性質を持っているため、手を伸ばしても決して届かずまた届いたところで空しさが残るだけである。昔から、美少年が美少年に憧れる、と言うテーマは数多い。(ここでは、女のエロ本と私的に考えているボーイズラブは除外する)。しかも、プラトニックならなお素晴らしい。これは、誰もが決して干渉してはならないことの表れであって、侵されないことで私たちの性のまがまがしさの無い神聖性を持つ「憧れ」は一層増してゆく。
この後も色々言いたいことはあるんですけど、ちょっと眠いので後日また書きます。おやすみー
もう、なんかギャグだから、めちゃくちゃな駄文です。あまり深いところ突っ込まれると、反論できないので「ふーん」ぐらいで勘弁してクラサイ