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帰宅して24日の朝日新聞を見ると、一面の下のほうに「癌闘病告白 山本議員死亡」と書いてありました。
参議院議員で胸腺がん患者である山本孝史議員が22日に亡くなったそうです。
普段なら下手したら見落とすのに、今日はパソコンが手元にあったので気まぐれでググってみると、山本議員のホームページが出てきました。そこには彼が闘病生活や子供の頃兄を亡くたり癌で母を亡くしたりしたことを契機に、ボランティア活動に励み、議員当選後も「癌対策基本法」を成立させるなど、市民のために奔走したことが書かれてありました。奥さんと並んで笑顔を見せている写真や、闘病中に病院のベッドでパソコンを開く痩せた姿の写真も載せられてありました。
そして、最新のブログには彼がとうとう逝去した、ということが綴られそこで終わっていました。
人の一生を垣間見たようで、しんみりした気持ちになりました。
同時にもしも今日、遅く帰ってきたがために新聞に目を触れず、また近くにパソコンが無くてよく調べもしなかったら、私は山本議員のことを何にも知らず終わってしまうのだな、となんだか不思議な感じがしてきます。
よく言われていることだけど、私がこうやってベッドに寝そべっている間にも、世界のどこかで生のドラマを終える人が何人もいて、私はそれに全く気づかずにいるのですね。その人が、どんなことを考え、成長し、何に楽しみや哀しみを感じ、どんな笑顔を見せ、誰を愛したか、何もわからないまま。。。
そして私も世界の大部分の人に気づかれずに死んでいくんだな・・・。
感慨深く寂しい気もしますが、それだけに人との出会いって貴重なんですよね。だって同じ時代に同じ人間として近い場所にいるなんて、何百兆の1とかの確立でしょう。街をすれ違った人でさえ貴重な出会いなんだから、親しくなった人なんてすごい奇跡。。涙がでてきちゃうよ。
なんか、すごいくさいですね。でも、これは必然的に私に生じる自然の感情なんだからくさいってのは変か・・・。臭く感じさせるのは、安易に「キミトアエタキセキ」とかって言葉にしてしまう、大根女優の下手なドラマとか渋谷でフリーハグとかやってる奴らのせいだよ。出会いの大切さは、しみじみひそやかに感じなさい。
でも、そういってしまうと私の出会いをテーマにしたこの日記も愚昧で無意味いうものですわな。すみません。
山本議員(の記事)に出会えてよかったです。来年も皆さんよろしくお願いします。
最近涙したこと。
ニコニコ動画で、有名人の死ぬ前の最後の言葉ばかりを載せた作品を見て号泣しました。ニコニコ動画見て泣くってないぞ普通~。潔い言葉、未練を残した言葉、格言的言葉、色々ありました。
谷崎潤一郎の「私は小説を書かねばならないのです。小説を・・・」(だっけ?)という言葉には、小説家の真髄みたいなものを感じて味がありました。最後まで小説のことを考えていたんだ・・・。もう業みたいなものですかね。
偉人の死ってなんか、遠くかけ離れた感じがして、それほど涙が出てくるというわけではなかったのですが、最後の人の言葉は本当に泣けました。気になったら見てみると良いと思います。まあ、「絶対泣けるよ!」という涙を期待させ涙を押し付ける言葉は嫌いなので、あまり薦めませんが。
全然関係ありませんが、今日は都心の説明会行き、帰りに駅で手相を見せてくれと若い女の人に呼び止められました。(彼女たちは決まって怪しげな雰囲気である。)
手相で呼び止められるのは、人生で合わせて三回目です。彼女たちは決まって「とっても良い手相ですね~。今趣味はなあに?どこの学校行ってるの?彼氏は?」などと根掘り葉掘り聞いてきます。。
おそらく私が今まで人生で褒められた数の中で、多分30%位が手相勉強中の彼女たちによるものです。
そして、あのフレンドリーさとおせっかいさは、今日の説明会で「え~、じゃあ、緊張をほぐすために、隣の人と一分間だけ喋ってみましょう!」的なものと同じような匂いがします。
まあ、別にいいけど・・・。
「暇だからいいか。バイトまで時間あるし」と思って、手を見せると、三回の中で一番私の手相をよくよく見ずに、例の「おだて」を始めました。
私は、別に好きじゃない(どちらかと言うと嫌い)目をまず誉められ、(泣きながら歩いていたから涙できらきらしてた。)今までやったこともなく経験してこそ物をいうはずの「リーダー」の素質があることを誉められ、運の強さを誉められました。(これは合ってる)
また、「今の自分に満足してる_?」と聞かれました。「余計なお世話じゃ。」と思いながらも、「あなたの学生時代に点数をつけるとするなら何点かね?」的なことを、面接官に聞かれたようなイメージをしつつ、
「満足してるとかしてないとか、自分の人生でそもそもそういうこと考えること自体、ウチ的にはあんまりすべきじゃないと思ってるんですけど。自分が今までやってきた結果がこうだった、というだけのことであって・・・。」と答えました。。(これって、悪い答え方なのかな・・・。)
すると、彼女はところで的に「へえ~、そうなんだ~。じゃあ、ところでパワーストーンて興味あったりする?」と聞いてきました。私の返答をどう受け止めたのかは知りませんが、・・・最初から手相あんまり見てないから、絶対来るぞ~と考えていた予想が的中しました。
「いや、ないっす・・・」「あっ、そうか、学生時代はいろいろなことをすると良いと思うよ。」「そうですね。じゃあ。どうも」・・・・・・
というわけで、私は総武線に乗り中央線に乗り換え、バイトに向かいましたとさ。おしまい。
目が離れてるし。
私を食べ物に例えたら、チョコレートケーキかしら?なんてくだらないことを考えていたところです。
私と一緒にケーキを食べた方はわかるかもしれませんが、私のケーキの食べ方は目に余るものらしいです。まず、ショートケーキならば、苺をとりあえず口にほおり、そのあとフォークで上のクリームを丹念に掬って食べます。
で、二段重ねになったスポンジをその後平行に剥がし、間のクリームを食べ、最後に一番下のスポンジを食べる。というもの。
友達に、「まりちゃん、それケーキの醍醐味を全然わかってないよ!パティシエが泣くよ。スポンジとクリームのハーモニーを楽しむものでしょ??」と咎められてしまいます。
が、私はこれは子供時代の潔癖症と関係していると思うのです!子どものときってなんか変なところで神経質になったり、潔癖になったりしませんか?
私の場合、おかずでご飯を食べると言うことが汚くてなりませんでした。口の中で咀嚼すると、唾液と混ざってご飯も肉も野菜も何もかもがぐちゃぐちゃになり、口の中でゲロのようなものが出来上がる(下品。失敬。)と考えると、もう嫌で嫌で仕方が無かったのです。
だから、必ず肉は肉、ご飯はふりかけご飯、と言う風に別々に食べていました。
たぶん、ケーキの食べ方はその名残なのだと思います。
こうやって、私についてまた新たな発見が成される。私だけでなく、人間全体についての通底を知る契機と成り得る。これは学問一般についても適応されるに違いない、そうに違いないです。
他にも私の変わった神経の尖らせ方があったら、気づき次第ほうれん草していきたいと思いますので。
自己分析ってどうすりゃいいんだろう。自分の性格がいまいちよくわからないです。ビジネスに必要な能力って言われたって、普段の生活でそんな本気モードで打ち込んだものは大して無いし、なにか真剣な場に挑んで議論を戦わせたりしたことも無いので、(それが大きな問題なのだろうが・・・)そんな学生生活のうえで自分のビジネス上の長所・短所なんてわかりゃあしないです。
実践もしていないのに、面接でよく聞かれるらしい質問、「あなたが入社することで、わが社はどんなメリットがありますか。」というのも、んなことわからないとしか言えません。言ったところで、凄い無責任な感じがするし。
というか、長所・短所という言葉も実に曖昧模糊として、実体が無く、独りよがりなものですよね。、
「長所は積極的なところです。」・・・言った者勝ちって感じもするのですが・・・。
確かに私は、昨年行った箱根にて、山を見てすぐに猿のごとく駆け登りましたよ。だから積極的・・・といえなくもないし。
程度の問題なので、自分に厳しい人ほど、安易に自分の長所などアピールできないような気がします。
長所・短所に限らなくとも、ウェブテストで思ったのが
「貴女は問題が発生したとき、仲間と協力して解決した」
という質問について。これも、サークル・家族・バイト・恋人・友達・ゼミという集団の差異、、また個人の干渉具合・仲間の間での位置づけによっても、対応の仕方は全く違うのに、どれを基準にすれば良いものやら困ってしまいます。
鈍感力・・・って、書籍でどういう使われ方するかはわかりませんが、これこそが就職活動で一番求められるものかもしれませんね。。
私は・・・鈍感力、あるかといわれたら、人よりあるかもしれないし、ないかもしれない。。。やっぱり、定義づけることはムツカシイです。
最近、また一層起きられなくなってしまいました。