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ログインできなくなったからその2
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インターネットのお悩み相談室なんかで、相談者が「辛くてどうしようもありません・・・。死にたいんです。」とよく言っています。そして、回答者が「あなた本当に死ねるんですか?死ぬなんて簡単に言わないでください!」とこれまた頻繁に答えています。(その後、回答者は自分の心底辛かった出来事、そこからの輝かしい立ち直りの経験を述べたりする)

しかし、私は数多くのお悩み相談のサイトを見てうんざりしているのです。
この二者の求めるものは、根本的に異なっているのではないかと私は考えます。

まず第一に、相談者がネットで「死にたい。」と言っている時点で、相談者は自殺をするつもりなどさらさら無いのではないかという点。

彼らは助けを求めて、話を聞いてもらいたがって、「ああ、可哀想だねえ。」と共感を求めているのではないでしょうか。「トーマの心臓」という漫画で、「同情は好きだよ。だって優しいもの。」という名言がありますが、まさに相談者は同情を求めて、意地悪く言うと悲劇に浸りたがっているのかもしれません。それを、「死ねるんですか?」なんて喧嘩売られたら、「私だって、命を甘く見てるわけじゃないのよ。」と、自分の誇り(pride)のためという、一瞬起こる武士的心情に襲われながら、その命を実際に一瞬で絶つかもしれません。


第二に、回答者が答える時の心情は、「慰め半分、虚栄半分」であるということ。相談者が見ず知らずのネットを媒介とした人物ならなおさら。

自分がどんなに頑張って苦難を克服してきたかを、彼ら自身辛いトラウマを背負ってきただけに、それを一種の武勇伝にして仕立てあげたがっているのではと感じます。高い山に登ったら、上からおにぎり食べながら見下ろして、「私も頑張ったんだから、あなたも頑張れるよ。」と言う風に。

相談って、悩みを聞いてもらうためだけにあるものであって、結局は自分が解決するものだと思います。だって、どんなに回答者の辛かった自分の体験を聞かされたって、相手と自分とは全く異なる生物なのだから、心底共感して自分も相手のように悩みを克服できる、なんて保証は雀の涙ほどもありませんがな。

 

・・・・・・なんか、どばどば文章書いていったのですが、意地悪く言い過ぎたかな・・・。岩波書店さん、広辞苑だけではなく、最新の「悪魔の辞典」も出版してくださいな。そして、「相談」の所に入れておいてもらったら嬉しいな☆
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一橋祭お疲れ様です。
皆、何かしらしたのかどうかわかりませんが、私は「大槻ケンヂののほほん学校イン一橋」に参加しました。

サブカルに詳しい方なので、格好よく言ったら「アウトサイダーの叫び」である、わけわからない映像を沢山観ました。久しぶりに涙がでるほど笑いました。

やっぱり、有名人って面白いね!話も上手いし!!

ゴスロリ系の人もいっぱいいました。様々な人種層の人に来てもらうように、一橋祭の講演会は今後、ビジュアルの金字塔である人とかにきてもらったらいいと思うんですけど。

あ、あと、その講演会で、ちゃらそうな一橋の学生が、彼女と長続きしないとかなんとかで相談に乗ってもらっていたけど、なんかムカつきました。

私は、皆さんご存知のように懐古するのが好きなたちなので、無論幼少の頃の写真は携帯のピクチャーに保存しています。今の携帯の待ち受け画像は、当時日本の幼稚園児の中で一番可愛かった弟の写真です。

しかし、私はよく自分の写真を見て思うのですが、この小さな女の子と今の私が一直線で繋がっているとは、全く持って想像できないです。不思議な感じがしてきます。。


お母さんに抱かれながらこちらに向かって手を伸ばしてる一歳当時の写真。。目は点で、鼻は無くて、ほっぺたが異様にぼわっと膨らんでいて、それ以外は何もかも小さい。(顔のパーツに関しては今もあまり変わらないとらしく、蛍の墓の節子に似てるとさえ言われる始末ですが・・・)

当時は、無知で純真で両親の愛情を一心に受け、何も考えない赤ちゃん。今は、煩悩に悩まされ汚い世界もある程度知ってしまった私です。でも、全然違うのに、年齢・ライフステージで段階的に考えると、確かにこの無心に手を伸ばす赤ん坊と、私は繋がっている。
まるで、白から青へのグラデーションみたいですな。。

将来の私は、青から何色に変わるかわかりませんが、もう白には戻れないのは悲しいですね。でもだからといって、戻ってみたいと言うわけではない、その心は、私の好きな言葉「ふるさとは遠きにありておもふもの」に深く関係しているのですが・・・。

で、昨日「塩狩峠」を今更ながら読みました。主人公のような性善説を持つために、彼はその根拠をキリストに見出したわけですが、「神は死んだ」とニーチェではなく、客観的分析的な学問が私の中に潜んでいるかもしれなかった神を殺した現在、私は「あのムカつく野郎も、昔は可愛い子どもだったんだな~。」と思うようにして、気持ちを穏やかに保とうとしました。

でも、学校来て、授業中におしゃべりする馬鹿野郎によって、一瞬でこの清らかな心は瓦解されてしまいましたとさ。

ジエンド

この前、味噌を買って豚汁を作って食べました。一緒に食べた人が、「こういう味噌味の豚汁は始めて食べた。自分はいつも家で麦味噌の味噌汁だった。」と言っていました。

私は味噌を鶴亀で買うとき、出来るだけ赤いのを選んでいます。家で食べていたのが、仙台味噌というもので、色が濃く味も濃いものでした。ちなみに家の味付けも濃いほうで、私もかなり濃い味が好きです。作った料理も「しょっぱい!」とよく言われるほど。

もし一般的に、北の人と南の人が一緒に住むことになったら、料理の味付けでどこの家庭でも一悶着あるのかなあ、と思います。誰だかが言っていたけれど、そこから二つの家の味付けが融合して、新しいその家独自の味が生まれると・・・。


あんま関係ないんだけど、
生まれ育った家が、干し柿の味とか自家製漬物などというように、「日本の手間の掛かった味」を殆ど知らない人が、同じような境遇の人と将来結婚したら、生まれた子どもは全くその味の良さがわからなくなってしまいそうですね。

大人になってから漬物を始めて食べて美味しい、と思うよりも、、子どもの頃から食べていた漬物だから、美味しさにさらに懐かしさが加味されて好きに感じる、ということの方がなんか味がありませんか?

私も、干し柿はおばあちゃんの家で食べた懐かしさがあるからこそ、スーパーに行った時に食べたい!と感じます。石焼芋なんかも、子どもの頃の冬に凍える手から伝わる紙袋の温かさの思い出があってまた食べたい!と思ったりとか、ありますね~。


今、自家製漬物とか作ってる家って少ないですよね。スーパーで売られた大量生産された漬物しか知らないままだと、味覚が鈍感になりそう。家のそれぞれの味があってこそ、帰るべき家に対する懐かしさも「食」と言う観点から生まれてくると私は思います。
最近「醤油」の売り上げが落ちてきているようです。
しかも、家のそれぞれの味転じて、地元のそれぞれの味、つまり地元で作られた産地品の醤油製産業が苦しんでいるようです。。

この傾向が、醤油だけではなく野菜とか果物とか、米までに及んだら悲しいですよね。てか、今全体的にそうなってきているのかな?一言では言えないと思うけれど。

私はそんなこと考えるまでも無く、金銭上大量生産され、しかも安い外国の食品を買ったりしています。
だから将来は自分で漬物漬けたりして、良き妻になりたいです。買う製品にもこだわってね。

新しいバイト始めてから、午後に起きることが多くなりました。どーーーーーーーーん。

たまらん坂を上ったところの街灯はオレンジ色です。夜、あたりは真っ暗なのにあそこだけ夕闇を残した感じがしませんか?

どうも、僕です。

今週のジャンプのぴゅーっと吹くジャガーは面白いので、立ち読みするといいと思います。私も、人の読んだだけなんだけどさ。

ところで・・・
今読んでるのが「偏食的生き方のすすめ」という本。この著者は、例えば店頭のスピーカーの宣伝等、皆が聞いていないと思われるにも関わらず響き渡る不要な騒音に対して、直接店長に叱りに行くなど、頑固な変わり者です。

そして人一倍こだわりの強い(執着の強い)著者は、気になると仕方が無いたちが、食べ物の趣向にも現れ、「サラミが人体の断面に見える」などの理由で非常な偏食家とのこと。


ちなみに偏食家と対立項にある美食家などというものは、その反対の「醜」を気にすることは無いそうです。彼らは美食に逃げ込めばいいのであるから。同じ理由で、美の探究者は「醜」には無関心であります。
しかしここで、偏食家はどうしてもネガティブ方向にいってしまうため、「醜」にやたらこだわり、悲しいかな嫌なものと向き合わずにはいられない。

とかなんとか・・・私の拙い言葉では言い切れませんが、この著者は結構私と似ているのではないかと思いました。
(もちろん私は食べ物は何でも食べる。これは、偏食は本来贅沢な性質に当たるものであり、著者と違って貧乏苦学生は食べ物は腐っていてもなんでも食べる必要に見舞われるから)

だけど、テレビ、本、人に対して凄く偏食が激しく、見る人が見れば「あぁ、まりちゃんこれ(この人)嫌いなんだな。」とはっきりわかるそう。

この人が結構私の心情を代弁してくれて、面白かったのです。
・・・・・しかし、ぶっちゃけ、こういう好き嫌いを率直に表し、クレームをつけることさえ出来るのは、正直社会的地位が無ければできませんよね。
才能と社会的地位のある変人は、逆にその人の価値と印象値を高めていますよね。。あ~、いいなあ。

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